2010年04月12日

ポセイドンアドベンチャー





昔ポセイドンアドベンチャーと言う映画がありました、


ネットでその映画の粗筋が載っていたので転記します。




豪華客船


「ポセイドン・アドベンチャー号」は、大津波の第一波で横転する。


そして10分ばかり経った後、第二波で逆さまになる。


上へ行くか、留まるか、違う道を選ぶか。


神父(ジーン・ハックマン)が「上へ行くべきだ!」の声に着いてきた
のは、何百人の中の10人。


「下に行くべきだ!」の声に従った人は百数十名。


「とどまって救助を待つべきだ!」の声でとどまった人は三百名。


ようやく船底の先端に着いたのに、目と鼻の先にある扉が開かない。


扉を開けるハンドルは、遠くにある。下は火の海である。ジーン・ハックマンは、死を覚悟し、そのハンドルへ跳ぶ。


ぶらさがった恰好でハンドルを自分の体重を利用して回す。そして叫ぶ。

「神よ!我々は自分たちでやれることはやってきた。多くの人を亡くした。


目の前に出口があるというのに、まだ、我々に試練を与えるのか!


どこまで耐えればいいんだ!神よ、聞いているか!ここまで苦しんでも我々をお助けにならないのか!」


叫びながら、ハンドルを回す。ゆっくり厚い鉄の扉は開く。


ジーン・ハックマンは戻ることはできない。


扉が開かれたことを確認し、安堵の表情を見せ、手の力を抜いて、火の海へ消えていく。


ついに行きどまってしまった小部屋。絶望の中、天井を叩く者がいる。こちらも叩く。バーナーで穴を開けられた。


「生存者は?」「我々だけだ・・・。」・・・生存者4名。


船底に開けられた穴から青空が差してくる。ニューイヤーのカウントダウンから12時間が経っていた。


そして、ヘリコプターが救助をはじめる。それを広角でとらえる。


大海原に船底の三角部分の約5mのみが、出ている。神父の判断は正しかった。


力強く引っ張ってきた者たちは次々に亡くなり、


生存者は「男の子とその姉」


「本当についてきたか良かったのかを疑問視していた中年男−連れ添いは直前で火の中に落ちる」


「老後の船での世界一周を楽しんでいた細身のおじいさん−連れ添いは水中で潜って出てきたところで息絶える」


・・・強いものは亡くなり、強いものに頼った弱いものの集まりだけが助かる。力強きものに命を助けられた4人は、青空を見上げる。



この答えがわからずに約30年間疑問でしたが、最近判るような気がします。


神父に答えるならば、


「神は災難や試練を与えたりしない、それは間違った行いにより人間が引き寄せるものです」。



設問 何故強きものは亡くなり、頼った人々が生き残ったのか。
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力強く引っ張ってきた者たちは次々に亡くなり、生存者は「男の子とその姉」
「本当についてきたのが、良かったのかを、疑問視していた中年男は直前で火の中に落ちる」
「老後の船での世界一周を楽しんでいた細身のおじいさんの連れ添いベルは水中を潜って出てきたところで息絶える」
・・・強いものは亡くなり、強いものに頼った弱いものの集まりだけが助かる。
力強きものに命を助けられた4人は、青空を見上げる。
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 ・・・強いものは亡くなり、強いものに頼った弱いものの集まりだけが助かる。


力強きものに命を助けられた4人は、青空を見上げる。

これは強きものの課題だったからです

その課題は「無償の愛」「自己犠牲もいとわない人助け」であったからです。


 亡くなったことは誠に残念ですが、


 ある意味、人生を全うした、との見方すらできると思います。


 無償の愛情も素直に受け取る人が居なければ、与えることができません。


 受け取る側も、有り難うといって素直に受け取るべきです。


ですから、牧師(ジーンハックマン)は船が転覆する前、快適な航海中にこんな事を言ってます。



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神はお忙しい、
人類に関する計画はあまりに遠大だ、
だから個人が神を求めても無理。
苦しい時に神に祈ってはいけない、
自分の内なる神に祈れ。

神が求めるのは勇者だ、臆病者ではない。
神は努力するものを愛する。
戦うのだ、人のため愛するもののため、
内なる神も一緒に戦ってくれる。
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特に、


「戦うのだ、人のため愛するものため、」ここも伏線になっていますね。



最後に青空を見上げると陽光が差してくる、これは無償の愛を実践したものに対する祝福の光です。


同時に、素直に助けられ生き延びたものに対する祝福の光ででもあると
思います。


実は、受け取ることも重要な課題だったのです。


助けられたものも、いつかは無償の愛を誰かに受け取って貰う課題に挑戦する日が来るかもしれません。


浅学でよくわかりませんが、仏教的に解釈すれば「菩薩」の行いでしょうか。




posted by スイートブログ at 09:34| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何年ぶりに聞いた映画の題名です。懐かしくなりました。
かたずをのんで見た記憶があります… ラストのシーンは忘れられません。
見たくなりましたにこにこ
Posted by なえらぶ at 2013年08月10日 01:32
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